永代にわたる供養を寺院にお願いする、永代経(永代読経)というものは古くからありました。あくまでもすでに亡くなった故人や先祖を供養するもので、お墓の新しいスタイルを創造するものではありませんでした。
現在の永代供養墓は、お墓の後継ぎがいない方に、お寺が永代に供養と管理を行ってくれるもの、生前に本人が申込めたり、共同使用をはじめ夫婦墓や両家墓といった、自由な発想に基づくお墓の考え方に沿ったものです。
永代供養墓が新しいお墓の形態として登場したのは、今から20年ほど前のことで、昭和60年、比叡山延暦寺大霊園に「久遠墓」が募集を始めたときからです。個別の墓石を建立する形式は、従来からのお墓を踏襲したものでしたが、総計2,000基近くが建立できる永代供養の専用墓域を開設し、天台宗総本山の比叡山延暦寺が管理する霊園ということで、大きな関心を呼びました。
寺院において、先駆的な永代供養墓として、この「久遠墓」が嚆矢となって、以来、現在まで永代供養墓は急速に普及してきました。
永代供養墓のほとんどは、広い納骨室を共同で使用する合祀式のもので、そうした墓所は公営でも神社でも開設されてきましたが、その当初から主に寺院によって開設されてきたため、永代供養墓という名称が定着してきました。
合葬式墓所(公営霊園での名称に多い)合祀墓、永代納骨堂、永代祭祀塔、倶会一処墓、生前個人墓など、さまざまな名称で呼ばれることもありますが、現在もほとんどの寺院は、「永代供養墓」という名称のもとに呼ばれています。
永代供養墓を持つ寺院は、全国で500以上を超えています
永代供養墓が登場した当初は、かつて養老院に入ることに多くの人が抵抗感を持ったように、永代供養墓というものについての認識が浅く、そこに納骨することに対して随分抵抗があったようです。初期の永代供養墓には単にお骨を収蔵するだけの無縁塔と区別が付かないもの、見た目も粗末で死後を安心して託すには不安を感じるものもありましたが、その後、管理・供養のシステムが確立し、造りも立派なものが多くなっています。
申込者が抵抗や不安を感じるものがほとんどいなくなっており、使用者も急増しているようです。今では、全国で永代供養墓を開設している寺院は500以上を超えています。
